写真家 永坂嘉光       大阪芸術大学教授
by Ynaggie
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
1948年、和歌山県高野山生れ。大阪芸術大学芸術学部卒業。1970年頃から故郷高野山をライフワークに撮影をはじめ、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国を取材する。現在、大阪芸術大学写真学科教授。主な写真集に『高野山』(毎日新聞社、1980)、『弘法大師の足跡』(同朋舎、1984)、『高野山千年』(ぎょうせい、1989)、『永遠の宇宙 高野山』(小学館、2001)などがあり、とんぼの本シリーズにも『巡礼高野山』(1990)がある。2002年、東京写真文化館で個展「永遠の宇宙」、同年、アメリカ、ウェストン・ギャラリーで個展「Echoes of the Spirit」を開催。2004年、日本写真芸術学会芸術賞受賞。2007年、社団法人日本写真協会作家賞受賞。
検索
<   2011年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧
作品
西海岸で作品が本日1作だけコレクションされた。
(通算は海外100作品以上)(国内は通算200作品以上)
9月になって、日本と米で6作がコレクションされました。
造形作家の様に、1作100万ー1億円ではー
ないから、
やはり、かなり生活が苦しいけれども、
(カメラ機材やデジタルパソコンを2−3年に一度
購入するので、1年で100作売れないと)しかし、
  本でなくー写真のオリジナルが
コレクションされる事はー写真を芸術品と認識される
方が日本でも増している事でー
 やりがいの有る事です。
 米の日本人である作家の杉本博司の作品は1作ー1億5千万ぐらいで
 販売され売れています。(2−3作しか創らない)
 65歳ぐらいで、今も健在です。
 この方と同じレベルで冊子に共同で私の作品が刊行されましたが
 やはり、アメリカ、NYと言う環境とJAPAN-の人里離れた
 山中の環境が違い過ぎるのーのですねー(頭脳も違うしー笑)
 
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-27 08:44 | Diary
今日は昨日のダイブもあって、関係ない首筋、肩、左足の付け根が
痛、痛、で低調でした。昨日のダイブでは左足と、右肩の打撲でしたが
全然違う所が痛、痛です。
 中学、高等学校とバレー部で痛いのを我慢したら、慣れて来てー
痛くなくなったのを思い出したがー今は年寄りとなるんですねー。
 痛、痛。
 それで、本日は眼科の医者に白内障が治る、米国の目薬について
 話した。それらはー抗酸化のものであってー直る事は無い
 白内障はカメラのレンズが古くなると黄色になるー
 それと同じだからー良くなる事は理論上無理
 皆様の皮膚が老化すると皮膚がたるみますねー。
 白内障はそれと同じく年をとると新しくなりません。
 ただ、これ以上の老化は(酸化は)防ぐ事は出来ますが

 網膜再生も後20年たてば出来ると言われていますがー
 もう私が医師になった頃から後20年で再生可能になると言われて
 もう20年過ぎますがー無理ですねー
 と、言う話でした。
 
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-26 21:04 | Diary
目薬
a0056025_21364682.jpg

 白内障は老人になれば、ほとんどの方がかかる眼病と思うが、
クララスティルと言う目薬が(米では認可)
白内障を直せるとインターネットで紹介されていた。
日本では手術でレンズを入れてしまう方法ですが「
私はビタミンでなんとかしたいと考えた。
誰に聞いても知らないー米の知り合いに聞いてもない。
とにかく、画期的らしい。
 
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-24 21:40 | Diary
雲海
やはり、狙っていた通り雲海が出ていた。
朝6時に起きたが、色々準備で遅れ
7時頃に弥山が見え渡せる地に来たが
撮影地の高さが足りないー
いつもの場所には、時間的に行けなかった
想像で思うと、ご来光も凄いとは思ったが
昨日の体調は3月ぶりの諧調さであった。
だが、20年前の身体の勢いは少ない。

今日は高野山のお墓のお参りから、熊野への道
そして、丹生都比売神社から和歌山市へ
そして帰還ー久しぶりに大人びたー息子を
乗せた長い長いー走行でした。
  『エジソンは』
1%のひらめきとー99パーセントの努力
と、残した言葉の解釈についての放送を聞いて
いた、
  いくら努力しても、ひらめきが無いと
  かなえられない事を意味しているらしい。  
   
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-24 00:05 | Diary
台風
台風が和歌山に上陸しないかと、ひやひやしていたが
難を逃れた、高野山のくれば本当に大変だった。
名古屋、東京が大変であった。
午後に吉野山の撮影に出かけたー
本当に静寂そのものであった。
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-21 21:33 | Diary
1コンサートの客人は数千名
なぜだろうー音楽コンサートは、多くの方々が集まる。1000−
5000ー50、000
CDなんかは、最大100万枚売れるー。
写真展はーニコン、富士のgalleryでは、10日ぐらいで最小2、0
00最大10、000名と限られた人数の様でもある。
CD等、1、000ー2、000枚売れたら成功だ。
 なぜ、写真ーがすくないのか?
 と、考えたー20センチX40センチの額入り写真を見つめる方は
 本当にその芸術に陶酔している数少ない方々と思う。
 音楽、ライブは大きな音で参加者を魅了出来る。
 大きな音響での雰囲気が出来上がるーみんなワーワーと叫ぶ。
 大きな空間が参加者を包も込み失神する方もいる。
 写真展はそういう事はない。
 音もない、空間も静寂そのものーしかし鑑賞者は小さい画面をみて、
 自分の心の中で過去の経験や有事を脳裏に描きながら写真を鑑賞
 するー
 周りの雰囲気に捕われないのである。
 展示の点数と大きさやライティングでもある程度は演出
 来る。
 音楽ライブやコンサートやCDの売れ行きに大きな差がある
 のはなぜだろうー 空間が醸し出す雰囲気の違いなのかー。
 だから−私は写真を大きくして展示する。
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-14 00:17 | Diary
三宝院ー音曼荼羅ー奥村愛出演
9/12音曼荼羅(高野山三宝院)奥村愛のコンサートがありました。
今年は聞きに行こうと思っていたー
丁度、時間が有ったので行くつもりでしたが、
大きな作品展示してよーと言われていたのを思い出し
1500ミリ(1m50センチ)を展示した。
中略
 Nさんでなく、高等学校の同級生のKさんとばったり
 会う事ができたー。本当に久しぶりでしたがー
 私の今後の撮影活動に気を使って頂いた。
 
 震災地ー原発問題のー
 福島から、精神的に疲れ果てた方が2−3日
 ここに泊まるーと言っていたー『放射線』が多いので
 毎日大変だーっと。
 私の写真を見てホットした 
 癒されたと言われたのでー
 私も嬉しかったー。
 
 
 
 
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-13 08:07 | Diary
今後の作品集の在方ーその一
今後の作品集の在り方ー
一時代を築き上げた、『写真家の作品集と個展』

 もともと日本の写真時代の曙には、アマチャカメラマンの
多くの団体(大阪なら浪速写真クラブとか、全日写連(朝日新聞)
とか,写真館経営、または新聞の記者、と言う様に写真に携わって
きた。
写真界の流れはおおかそうであった。
しかし、第二次世界大戦後、日本は欧米の文化に彩られ始めて
来た、それと同時に写真が広告分野で大きく活躍出来る時代も
到来したと思える。
(昭和46年頃は35ミリのカラーネガのASA200が出来て
 珍しかった、私はそのフイルムで高野山の専修学院の行を撮影
したものであった)
=写真の材料は急速に増し、カラーリーバーサルフイルムの数々や
 高感度のフイルムも出来てー相当便利になったーそれを支えるの
 も、数々のアマのカメラマンが使用するからであったー。
 また東京では資生堂が広告にカメラマンを使い始めた
 篠山紀信ーはじめ多くの花形の広告カメラマンをを作り出した
 そして、やがては広告写真家協会が出来る^。広告写真家となっ
たのである。
 その頃の若者(私も含め)東京におおいに憧れ始めたのである。
 ーお金の産む所に人が集まるのはー当然であったー
  私の同級生も東京の中村正也のスタジオに住み込みで働く事と
 なりー私が卒業した、美術学科写真専攻(8名ぐらい)も写真
 学科となり短い年月ー5年ぐらいでー8名からー1学年35名ー
 80名と増し、
 そして最盛期には120名ー全学科ーおよそ500名となった
 学科であった。
 花形の仕事でもあった。
 続くー。
 
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-11 06:49 | 写真集
被害のニュース
和歌山、奈良から被害のニュース。
那智の滝は滝壺が変わってしまった。
熊野も多いに荒れているとか。
関係の観光課の方と会うと、これから山の至る所で
被害状況が明るみに出ます。
熊野もこれで駄目か?フランス人も観光しないし
フランス人の観光はまだまだ戻っていないとか。
と、皆様大いにに悲観的でした。
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-10 23:47 | Diary
山津波那智勝浦
和歌山県南部
山津波が那智勝浦をおそった。
町長の娘が結婚の結納をすました、次の日
彼女はこの山津波で還らぬ人となったー
この話が和歌山北部ー橋本の郵便局でも
持ち切りでした。
 
 橋本から紀の川を渡って高野山に向かう
南海電鉄が橋が危ないので
今日も運休でした。ここも後200ミリの
降雨があれば相当危ない所でした。
紀の川が決壊したら、紀の川沿いの
町に住む約百万近い方々が大変です。
[PR]
by Ynaggie | 2011-09-06 23:17 | Diary


ライフログ
カテゴリ
以前の記事
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧