写真家 永坂嘉光       大阪芸術大学教授
by Ynaggie
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1948年、和歌山県高野山生れ。大阪芸術大学芸術学部卒業。1970年頃から故郷高野山をライフワークに撮影をはじめ、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国を取材する。現在、大阪芸術大学写真学科教授。主な写真集に『高野山』(毎日新聞社、1980)、『弘法大師の足跡』(同朋舎、1984)、『高野山千年』(ぎょうせい、1989)、『永遠の宇宙 高野山』(小学館、2001)などがあり、とんぼの本シリーズにも『巡礼高野山』(1990)がある。2002年、東京写真文化館で個展「永遠の宇宙」、同年、アメリカ、ウェストン・ギャラリーで個展「Echoes of the Spirit」を開催。2004年、日本写真芸術学会芸術賞受賞。2007年、社団法人日本写真協会作家賞受賞。
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赤い布
意識不明の母に赤い布を胸にかぶせた。
血圧が上がり、意識がもどった。
 これが、カラーセラビーか、と思った、
凄い期待をし。医者も大変不思議がっていた。
次の日(昨日母の胸におかれた、赤い布を
別に場所にはなしたと言う。)
それから1時間で、母は遷化した。
今日は高野山の家でお通夜
明日は午後1時から、高野山光明院で
葬儀と決まった。
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by Ynaggie | 2007-09-29 12:32 | Diary
生命力
9/20木に、何も話せない母が入院をする事になった。
最後の望みを賭けていた。
熱が下がり、移動中に
息が絶える心配が少なくなった。
救急車にゆっくり行ってもらった。すぐに検査であった。
結果は、特に悪い臓器はない、全体に衰弱している、
体内の水の排出量が減少し、循環器が活性する点滴と
血圧をあげる点滴、血圧をあげて体内の水を循環させる
目的であった。2日後それが効いて、体内の水が排出が多くなった。
しおれた花が、一瞬元にもどる事があるのを知っている。
その花と同じ様に、一度は元にもどり、
一晩中、独りで   話をしていた。痛いとか、目がさめたのであろう。
いい方向に向かうと大きな望みをかけた。空海に祈ったお陰かもー^
と思った。
しかし、2日後の本日は、また水分がたまり、排出出来なくなった。
血圧、点滴、等、すべての処置をしたが、もう薬は効かないのなかー
と、医師が言っていた。
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by Ynaggie | 2007-09-25 01:04 | Diary
写真教室
写真創作の基本
 同じ被写体を   光の方向を考えながら。
基本は5つの方向の光で見つめる。光の方向
     光の質 
    1         晴れの日
      2       雨の日
      3       豪雨の日
      4      風の日
     5−     雪の日。新雪、豪雪
   これは、つまり
    絵画で言う
   テレピン油の量によっての表現の違いをみる様でもある。
   また、顔料による違いか。かつて私は スリカンカの撮影で
  宝石を集めて砕いて絵の具にいれて独自の輝きを出そうとした
 事が あるが、写真の方が忙しく出来なかった。
   しかし、リキテックス画 油絵、日本画の絵の具、水墨絵、等、
  絵筆の跡は、一律
  に見えてくる。
  私の絵暦が浅いのも事実であるが、 
 写真は、全然違うのである。もっと、もっと変化する。
 が、カメラを使うので気がつかない方が多い。
ピント、ボケ、速度、等。
 今のデジタル写真は『表現』を狭くしている様な気がする。
(機械写真である、ロボット 写真だ)そうでもないよーと言われる
しかし、デジタルのいい作品が少ない。感動しないんだなー
 だれが、写しても到達点は似ているーその似ている作品が山となって
 あふれているから、 今までの銀塩写真が見なおされている。
 デジタルを扱っている方が、歴史ある写真作品を作る事が出来ていな

ので、ますますデジタル写真が狭い表現になっている。
 デジタルはーインクの印刷
 銀塩はー写真の色(乳剤)
まー、その差がわからない方は(不感症)仕方ないと、思う。
長生きの島ー沖縄の方々の寿命が短くなった。
 地元の良さに不感症であった、と考えるか?         
   地球も終わりかなー。 1000年後には地キゥウが危機という事も
 気がつかない。アジアのある国は環境規制がない。(中国他)

  しかし、IT革命と言っているが、まだまだこれからの
 デジタル化に期待している。今のは過程であって
 ITは完成していない/。未完成の混乱が起きているのだー。
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by Ynaggie | 2007-09-18 09:40 | 写真技術伝授
NYの芸大OB
9/15日にNY から城誠さんが来場してくれた。
これはわざわざ、NYから奈良の私の写真展をも見られ、
今日は高野山に来て頂いた。
大阪芸大oBで、 NYで 会社を自力で経営されている
芸大の出世頭である。
インタ—ネットの普及で世界の情報がよくわかる時代。
で、私の高野山の作品を認知された。
同じ芸大卒で気が合った。
( コンピュターによって地球の環境悪化をしり、後1、000年で
地球は壊れると計算されているが)、
 ネットの情報は 凄いものである。
22日に再び奈良で合う事になった。
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by Ynaggie | 2007-09-17 23:06 | Diary
9/15
9/15日
今日は奈良市写真美術館でギャラリートークがあった。
群馬から岩本夫妻が来られた。いつも必ず来てくれる
本当に有り難い限りである。堀田さんも、環状線であった
時に言ったのを覚えていてくれた。
作品展は30日までです。
29日も最後のトーク となります。
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by Ynaggie | 2007-09-17 22:49 | Diary
ウェディング
今日は午前2時に帰り、午前9時に大学のキャンバス見学会に
就労し。午後5時にOBの結婚式に参加の為出発。
ユニバーサルスタジオの新駅の近くであった。
 中々洒落た式場で、さすがユニバーサルであった。
新婦は六車さん、友人のさざえさん?が、他友人が来ていた
僕は主賓の挨拶であったが、この所大変な時を過ごしていて
全く何も、皆無、式場の名も地もわからなくなっていた。
仕方ない、思い出すままに話した。芸術作品の制作過程と
人生の流れとは同じ事だとか。つい言ってしまい、
挨拶でなかった様な気がした。 しまったよー。
しかし、時間の流れは速い。大学生が卒業して
4−5年するとお呼びがかかる。昨年は同じ日に大阪と
関東であった。しかし、あまり多いと.お祝いで 破産(笑い)し
てしまいそうである。私は高野山関係の祝い事や、含めて
2年前は秋に6回もあった。縁起はいいので、運がつく様な
気もするが。
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by Ynaggie | 2007-09-16 23:34 | Diary
生命力
今、私を45年間お世話してくれた、母(94歳) が10日前から、その命を消耗し
尽くそうとしている。
入院するにも、入院の為の環境変化や、振動や検査で命は消耗し絶えるだろう
と、町のお医者さんが長い時間話してくれた。
つまり、医学的には死んでいるのか・と考えた。
重度の心筋梗塞、肺炎、感染、肝炎、が同時に襲う。
4個の病があるから、 後、2−3日でしょう。と言われてた。
昏睡状態が15日も続いている。
体は水分が排泄できなく、やせた体が、ぶくぶくと大きくなっている。
体温は39、9、脈拍は150、(普通成人は70から、80)120になると
心臓停止だそうだ。しかし、150が5−6時間続いても、肺も心臓も
生きている。
私は、伽藍の高野明神や弘法大師の入定廟に深夜に参拝した。
ここは、伝説の場でお祈りした事はかなう事が多いと言われている。
事実そうであった。
あくる朝も相変らず、いよいよ人生最後の点滴の治療が家の中
で始まる。
それから、1日過ぎて、なんと体温が36、脈拍が85となった。
そして、昏睡状態から、のどが乾いたと、かすかに言う様になった。
本当に不思議だ、三途の川から帰ってきた。
三途の川を渡るとあの世である。渡る手前で考え直したのか。
このまま回復すれば病院に入院出来ると、町医者が言う。
 希望が湧いてきた。
医者嫌いの母は、あまり薬には縁がなかった、ので点滴が効いたのか?
しかし、だれでも死の前に一時は元気になると言う。
天国に行く前に、一度元気になって話したいと、魂が蘇るのか>
写真でも、冬枯れの中に美がある。
素晴らしい、美がある。
枯れた葉にも、かすかな命がある。
私はそれを見つけて写すのが好きだ。
若い学生が私はもう、感覚がないからと、諦めている方が
多い。自己の本質をしらずして、諦めるのは早すぎる
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by Ynaggie | 2007-09-15 02:06 | Diary
東寺
東寺に行った。
文化推進の方々とあった。
東寺は空海が密教道場として、興隆させた
京都の寺院であrる。
私は、東寺こそ、空海の歩いた道を、世に
しらしめる任務を持つ寺院ではないだろうか、と
話した、するとその通りです。と同意され、東寺を
さらに撮影する事に話がすすんだ。
とり急ぎ、2008。3/20ー5/6までは、会場を
開けてくれるー後は後援等が費用の話がまとまるか>
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by Ynaggie | 2007-09-11 23:38 | Diary
高野山
今日は高野山で初めての、一方通行であった。
歩行者がゆっくり歩ける様に、歩道をいつもの2−3倍の幅で
あった。
丁度、大きな紅葉の並木がある、高野山の西院地区、私の生まれた
家の側である。
美しいが車が通るので、味あう暇もなかったが、ゆっくりあるければ
高野山では一番大きい紅葉の道である。
     木が大きいのもここが一番。
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by Ynaggie | 2007-09-09 00:34 | Diary
枯渇
ゆっくりと、本当にゆっくりと、若い時に一度死線をさまよったので
長生きすると、言っていたが、私が高校生のおり、下がってくる内臓を
切り取り、昔の手術なので、2カ月の入院をした。10年過ぎて
今度は開いたお腹の空洞に腸が下がって来るので、ヒモで結ぶ手術をした。
それは大阪狭山の近大であった。
よく竜神温泉に車で90分で送っていった。
 茶色のスプリンター(当時は新車買う方は少なかった)
温泉の福屋旅館で突然体が動かなくなり、「医者はいらん、ここで3日の間
寝る」と言ったので信じて帰ったが、福屋のおばさんは、ここで死なれた
らかなわん、連れて行って、救急車呼ぶとか、ぶつぶつ言っていたー
このおばさんは、故人となっている。
3日後に行くと  歩ける様に元気になっていた。
お茶しか飲まなかったらしい。竜神温泉はよく効いた。
家でもいきなり3ー4日寝込んで、体を直す事をしていたんだろう。
(医者が嫌いのであった)若い時は牛と言われていた、両手、頭、首に
杉葉を集めて、炭の俵にいれて、毎日何俵もとっていた。
私は野原に野良犬の子供の巣やを創っていた頃だ。
私も10才の頃ー手伝いをした。
深山で秋の終わりの枯れ落ちた杉の葉を集めて何俵もつくった。
(当時ガスなんてない、風呂も御飯もすべて、山から拾ってきた、
たきつけであった。
冬は今より寒い氷点下10Cで、すべて炭であった。12才の折り始めて
電機ストーブが父が大阪から買って来た。テレビも(白黒)来た頃であった。
カメラはもっと前からあった。父は記念写真好きであった。
高野山中はすべてそうであった。
しかし、母がいくら体が弱いと思っても、昔の人は鍛えているから、
命の全てを使い生きている。
10年前であろうか、母は転倒して腰の間接の骨折した、合成樹脂と
入れ替えた。医師はもうダメでしょう、から、必死の看護で見事復帰した。
100人に独りの生還であった。
医者は仰天した。(多分医師まかせだと、ダメであるが、家族が看護して
いると、本人もやる気が出て来る。)2年前は肺炎を起こした、これは大変で
あったが、医師に残念ですがと、言われたが、24時間の2カ月の看護が実り
、見事帰った。医師がまた仰天した。奇跡ーだと、言ったのを覚えている。
 
 しかい、今は話ができない、起きあがれない、兄が大きな声で
いくら叫んでも返事がない。ヘルパーさんもお手上げだー。
目も見えない、でも、力はある、しかし、体のあちらこちらに大きな
むくみがあり、その水分を代謝出来ない。食事もしなくなっている。
点滴は最小限にしないと、肝臓機能を止めてしまう。
救いは酸素を送り込み、酸素価87まである事である。
普通の方酸素器なしで、98ー100
ゆっくりと、ゆつくりと、枯れて行く様が見えて来る。
 春、夏、秋、冬は、また来年やって来る、しかし、人は
 冬が来ると、春はこないと
 侘びしい。
 
 以前の高野山の冬は本当に寂しかった。賑やかな大阪の大学から
 帰ると、高野山は11PMもちろん真っ暗、寒い北風が吹き、吹雪の暗闇
 を歩いて家に帰るのが、本当に寂しかった。
  これ、天界の道。
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by Ynaggie | 2007-09-06 00:21 | Diary


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