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 写真家 永坂嘉光       大阪芸術大学教授
by Ynaggie
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1948年、和歌山県高野山生れ。大阪芸術大学芸術学部卒業。1970年頃から故郷高野山をライフワークに撮影をはじめ、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国を取材する。現在、大阪芸術大学写真学科教授。主な写真集に『高野山』(毎日新聞社、1980)、『弘法大師の足跡』(同朋舎、1984)、『高野山千年』(ぎょうせい、1989)、『永遠の宇宙 高野山』(小学館、2001)などがあり、とんぼの本シリーズにも『巡礼高野山』(1990)がある。2002年、東京写真文化館で個展「永遠の宇宙」、同年、アメリカ、ウェストン・ギャラリーで個展「Echoes of the Spirit」を開催。2004年、日本写真芸術学会芸術賞受賞。2007年、社団法人日本写真協会作家賞受賞。
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孫悟空,大福厳禅寺の釈迦の遺骨
孫悟空(そんごくう)が描かれた西遊記は
皆様よく知っている事でしょう。
孫悟空が助けたと言われる、玄装三蔵法師の遺骨が昭和17年発見。
中国の南京の玄武山にあり、s19年には
玄装塔が完成している。
玄装三蔵法師こそ、教典を求めて遠く天竺(インド)
まで苦難の旅を続けたのである。
孫悟空が旅の途中に現れた妖怪を払い除けたり
その旅を助けたので有名。とある。
一説には孫悟空が、玄装三蔵法師とも言われていた。
話は変わるが、
私は3年前、『空海の歩いた道」の撮影の折に、杭州近くの
大福厳禅寺で大きな祭りがあった、
その、祭りは遠くスリカンカから、仏舎利が運ばれた記念の
お祭りであった。40度近くある暑い日であったが、
案内の政府の要人の方と、きつい紹興酒を飲まされた後に、
炎天下に出た。
祭りの中でいる内に、特別に仏舎利を見る許可を得た。
そして、安置されているお堂に入堂した、私は撮影しても
いいか、と尋ねて頂いた、NOであったが、粘っている内に
違うお坊さんが、1ー2枚ならとOKされた。
 私は小さい祠に35ミリカメラをねじ入れ、信者が怒らない
内に素早く、写した。2度と無い撮影に
感激しながら、3枚撮影した。
釈迦の骨は、いつも見るが金の器にいれてあるが、
今回は奉納された骨が、本物である事を誇示する様に
骨が裸で器の頂に載せてあった。
白い骨そのものを、写したのは始めてであった。
by Ynaggie | 2007-11-02 20:05 | Diary
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